くだらない人間が語る幸せになる方法

くだらない人間が語る幸せになる方法

幸せになる権利

どんな人や動物も幸せになる権利がある。たとえ犯罪人でもそれは変わらない。もちろん被害者はいちばんに救われなければならない。しかし加害者というものは、多くの場合被害者でもある。彼らの多くは恵まれない生い立ちを持つ人間が多い。仮に人目にはわからないようなこと、例えば、物質的には恵まれていても精神的には満たされないものがあったり、親は愛情を注いでいるつもりでもそれがうまくいっていなかったりということもある。そういう人間には成人しても支えてくれる友人等も得にくい。そのような人間が犯罪を犯す前に救いの手が差し伸べられるべきである。犯罪者を一方的に糾弾しても、また次の同じような不幸な犯罪者が出てくるだけで、当然その被害者も同時に生じる。

それでは、それら犯罪者を不幸に追いやった人間、例えば実の親などが悪いのかというとそうではない。その人間もまた被害者であることが多く、突き詰めていくと、その原因は社会にあるということになる。社会というのは皆が作っているものであり、罪人を糾弾している人たちもその構成員であるともいえる。

これは日本人に多いものなのか、諸外国でも同じようなものなのか分からないが、重犯罪を犯した人間には人権などないも同然といわんばかりのTwitter等での叩きが多く見られるが、人間何か間違えばいつ自分が犯罪者にならないとも限らない。また、何も起こさず過ごせてきたのは当人の努力云々という問題ではなく外的要因によるもの、つまりは恵まれているということなのだと思う。

恵まれてこなかった人間は今からでも恵まれるべきである。どんな人間であれ不幸になっていいとか、不幸がふさわしいというようなことはないと私は思う。