くだらない人間が語る幸せになる方法

くだらない人間が語る幸せになる方法

某詐欺師のこと

先日書いた詐欺師のことを、私はこんなひどい人間もいるのかと、本当の悪のように想い、許せないと感じている。

私はあまり人に対してそのような事は思わないほうだ。考えが足りないような行動に対しても、別にそうした配慮に至る根拠となるものを、それまでの人生で得られるかは運のようなもので、自分の努力というより外的要因からのものだと感じる(自分の行動によって得たものであっても)ため、だからその人が悪いというような認識にはならない。

死刑囚を含め犯罪者に対しても、犯罪者とは犯罪者という被害者だという意識があるので、こんな奴死ねばいいとか、死刑になって当然とかはまず思わない。私は死刑反対派だ。もちろん、被害者の方は本当に、救われるべきだと思う。

犯罪を犯しても、それを償おうと頑張って生きているのはすばらしいことだし、極悪人のような人間と全く同じ人生を生きてきたら、どれだけの人が正気でいられるのだろうか。また、それでも自分はそうはならないと言い切れるのなら、それは遺伝子的な要因なのだろうから当人には責任はない。

 犯罪をしても、何か社会に伝えるようにもがいている人もいる。

 

また多くの非人道的な組織であってももう少し秩序くらいはあるものだろうと思う。

 

また、人に迷惑だけはかけてはいけない等言う人もいるが、私は迷惑くらいべつにいいと思っている。というか人に迷惑をかけるべきではないという人も迷惑くらい知らないうちに多少かけているものだ。自分だって人に迷惑くらいかけているんだから、他人の少しくらいの迷惑なんてお互い様だと思っていないと、あの人はどうたらとか言う人間になってしまう。しかし人を不幸にするのは別である。私はいじめは良くないと思っている。いじめられる原因が当人にあったとしても、だからいじめていい理由にはならない。人を好きなだけいじめておいて、たちの悪いいじめばかりしておいて、被害者意識だといって正当化しているのが自称聖人の某詐欺師さんである。

 

どうしてこの人物を許せないとまで言えるのかということは、まだここには公開していない、というかブログや文章では伝えきれないように思うが、私はここまでひどい人間を他に見聞きしたことがなかった。麻原に似ているかとも思うが、私は麻原についてあまり情報を持たないので何とも言えないところがある。

しかし私はこの人物について、死ねばいいと思っているわけではない。そうではなく、正されてほしいと思う。自分の間違い、過ちを認め、被害者の人々に謝罪し償い、まともに生きなおしてくれればと思う。そうすればこれ以上の被害者は出ないだろう。

しかし、私はこの人物が、そういうことが無理な人間だということをこれまで十分に見てきた。

たちの悪い人物で、人に対して「殺す」という脅しも平気でするような人間なので、実名をあげて批判すれば報復行動に出られかねないため、実名は出せずにいるが、この人物によってこれ以上、不幸になる人間、つらい思いをする人間、また洗脳され自由を奪われる人間も出ないでほしいと願っている。

 

今この詐欺師が活動を活発化させ、某掲示板でも自演スレがたてられていたりもしており、よい印象をもってしまう、もしかしていい人かもとか、すばらしい人たちだと誤解してしまう人が増えているので、ここを読んでいる方で思い当たるものがある方は、くれぐれも注意されてほしいと願う。